"私は「働き者」にはなれない" 過去記事より

 

「休む」とか「何かをちゃんとやらない」ということに、罪悪感めいたものを感じる自分がいるんだなー、と思った。

 

「いやいや、そんなんじゃダメだ」とか「これから先どうするんだ」とか、自分で自分を追い詰める。

 

私の周りには、「働き者」が多い。

働き者が、せっせせっせと「誰々のために」「○○のために」と動く中、弱音を吐くのはためらわれる。

 

思いきって言ってみても、なんだか後悔する。なぜだろう。

 

私は、ラクをしたい。

目標を達成するために、その他のことについては、できるだけラクをしたい。

 

その「ラク」のために、いろいろな発明や技術の発展があるのだと思う。

 

周りの働き者達は、「ラク」ということに価値を置いていないように見えることがある。

とにかく何でも「動く」ことに価値を置いているように、私には見える。

 

もちろん大事なことだ。

でも、動けないときだってある。

 

そんな時には、本心を言う相手として、「働き者」は適任ではない、ということなのだろう。

だからきっと、言ってみても後悔するのだ。

 

人が本心を言ってくれるような、本心を言いたくなるような、人間になりたいな、と思う。

私は「働き者」にはなれない。

逆にそれが、私の強みになるのではないだろうか。

(過去記事ここまで)

 

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