先日、私のことを「ひそかにポジティブ投稿の先生」と、フェイスブックコメントで言ってくれた人がいました。
とてもうれしかったです。
てか、そういうコメントできるあなたこそ、ポジティブコメントの先生です!
フェイスブックのコメントというのは、時々妙なものが入ってきますね。
投稿内容や書き方には気をつけているんだけど、それでも、「…?!」としか反応できないコメントなど入ってくることがありました。
スルーする時もあれば、回答?をひねり出して無理やり書くこともありました。
でもそれ、私ってば、親切すぎる!笑
いくつか見ていた夫が、
「なに変なコメントに律儀にちゃんと返してんだろうと思った」と。
「他にコメントしようと思った人が、これ(妙なコメント)を見てやめちゃうかもしれない」と。
ほんとだよー!
そういう思いをすることが、昨年の後半~年末、少し増えてたな。
最近気づいたのが、私の「誰に対しても平等」とか「人間観察として(相手や現象に)興味を持ってしまう」ところにも原因があるのかもしれない、ってこと。
誰に対しても平等に接するってことは、私からしたら「単に平等にしてるだけ」なんだけど、そう扱われた人はもしかすると「自分への好意」だと勘違いするかもしれない。
人間観察、現象観察として興味をもっているだけなんだけど、興味をもたれた人はもしかすると「自分への好意」だと勘違いするかもしれない。
あとはね、夫によると、私は聞き上手で共感力が高いらしい。
だから、「あぁわかってもらえた!」との思いを相手に起こさせるのだと。
私は、想像力を駆使してるだけなんですけどね。
…てな感じで、自分についての発見がいろいろありました。
気を付けよう。
たぶんね、多くの人は?
「好きだから→興味を持つ」
の順番なのね。
「好きなら必ず興味をもつ」というか。
私、好きの度合いと興味の度合いが、必ずしも比例しないんですよね。
たとえば、私が好きな友人たち。
彼女たちの家庭環境がどうなってるのかって、知り合ってしばらくの間、知らなかったりしました。
既婚、独身、離婚、子供の有無など、だいぶ後になってから知った、ってことけっこうあります。
知らなくても平気だし、ものすごく強い興味もないんですよね。
でも、とても好きよ。
ってことは逆に、たとえば、「自分と環境が同じだから」という思いのみ、思い込みでガーーッと私への距離感を縮められると、「ふぇっ?!?!」となります。
人は、いろいろ。
私は、私。
前記事で書いたように、「強くあたたかく美しい人」としての対応をしていきます。https://blog.gamachan.com/entry/2021/01/01/203524
この場合必要なのは、特に「強く」の部分ですね。
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