「サトラレ」るのに任せるのではなく、自分の口で、自分の言葉で、話すことができること。理解されること。

ある選択についての
ちょっとした後悔がある。

本当にちょっとしたことだ。
過ぎてしまえばどうということもない。

言ったからといって、
どうということもないのかもしれない。

でもやっぱり、
真意を理解されない可能性、
誤解される可能性があるなぁと
思ってしまう。

だから、黙っている。

黙っていた。

…のだが、今日(4/25)
名古屋で友達とご飯を食べながら、
ふとそのことをそのまま話していた。
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亜紀ちゃんとガマ。


昔、「サトラレ」でしたっけ?
自分の思っていることが
全部周りにダダモレしてしまう人が
主人公の映画かドラマかな、
あったと思うんだけど、

私は最近、自分のことを、
ああまでとは思わないが、
それでもあれに
けっこう近いんじゃないかと、

相手の反応や周りの様子から
ふと思うことがある。


だけど、
どんなに「サトラレ」ようとも、
それはあくまで
相手の側のサトリなのだ。

私が自分で、自分の口で、
きちんと話した真意ではない。



今日のご飯の時間もお茶の時間も
笑いが絶えなかった。

笑って笑って笑った。

笑いすぎて、泣けてきたほどだ。


そんな時間の中で、
ちょっとしたこととはいえ
言わずにいた言えずにいた真意を、
ふと、自然に、話せること。

「サトラレ」るのに
任せるのではなく、
自分の口で、自分の言葉で、
話すことができること。

理解されること。


これはなんというか、ものすごく、
美しいことだと思った。


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にゃ~

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にゃ~のチュ~


ガマの旅ブログ
名古屋のホテルにて