それは「きっかけ」というより「最後に」起きたんだと思う

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    ~お菓子の家、それは幻~

 

時々、「えーー?!そんな理由で?!」と世間が驚く些細な理由で、配偶者間の事件が起きますよね。

 

「○○にカッとなって××してしまった」の○○は、「そんな些細なことで××するなよ!」

と、事件を知った誰もが思うようなこと。

 

その些細なことが「きっかけ」になった、と報じられる。

 

 

私は、いつも思うんですよ。

  

「きっかけ」というよりは、それが「最後に」起きた、ではないのかな?

 

今までに、溜まりに溜まりに溜まりに溜まりに溜まりに溜まりに溜まりに溜まりに…溜まったものがある。

もう溢れんばかりになっている。

 

水が、コップの縁ぎりぎりまで注がれている。

もう膨れ上がっている。

そこに、あと1滴の水が落ちたら、溢れる…

 

という状態が続いていた。

今までは、なんとか持ちこたえてきた。

 

そこへ、その些細なことが、「最後の」1滴として落ちてしまった。

 

溢れた…

 

ていうことだと思うんですよ。

 

だから、「きっかけ」になった、というのは、確かに事実の一面ではあるけど。

 

そうじゃなくて、私としては、「最後に」起きた、と言いたい。

 

その出来事は、「最後に」起きたのだ。

 

たとえ、些細なことが起きなかったとしても、他の何かが「最後に」起きれば、事件は起きたんですよ。

 

最後に起きる他の何かとは、他の些細なことかもしれない。

重大な出来事かもしれない。

それは分からない。

 

起きた出来事が、「最後の1滴」という枠に当てはまってしまったときに。

 

 

…私は、「それが、最後に起きました」て言ってほしいんだ。

 

 

 

ガマ 「なに。まりこさん。こんなテーマを……つーか、テーマ、ナニ?!」

 

まりこ「ぅうーん、まぁ、本屋に行くと、いろいろ発想が刺激されてぇ~モゴモゴ」

 

ガマ 「発想ねぇ……明るい発想も頼みますよ!」

 

まりこ「すんません・」