身近な存在。
家族とか職場の人とか。
ネットは、気持ちを吐き出すことで
賛同者が集まったりもする。
批判、ディスりは、
賛同者をより集めやすい面もある。
「そうなのそうなのそう思ってたー!
よくぞ代弁してくれた!」
と思われるから。
だけど、
身近な人への批判、ディスりを見て、
私がまず思うこと。
それ(批判の対象、現象)を
良い方向に変えるために、
あなたは何かやったのか?!
と。
何か試したのか?
何か働きかけたのか?
どのようにやったのか?
どれくらい繰り返して、やったのか?
それでもダメだったのか、
その身近な人たちは?
と、やっぱり思っちゃう。
試みてもダメならダメで、しょうがない。
変わる気のない人を
他人が変えることはできないし、
ほんっとに話の通じない人も存在する。
そりゃ~わかる。
でもね、なーんも試みずに
ネットでディスったり批判したり「だけ」
なんだとしたら、どうだろう。
もし私が、ディスられの対象だったら、
「あんたこそ!!!」
と、言いたくなるだろう。
批判の内容は正論だったりする。
なるほどごもっとも…
とは思うけど、
陰でこそこそ言う人を、信頼はできない。
結論。
身近な存在を
批判したりディスるのなら、
その問題に対して
自分はどうしたか、どう試みたか、
まで書くといいよね。
そうすれば、
「陰でこそこそ言う人」
にはならないでしょ。
うまくいかないことを、どうするか。
どうとらえ、どう考え、どう動く?
このメモ、別件で書いた。
ちょうどこの記事に使えるわ!と。
モノクロにしてみたけど
ちょっとおしゃれになったー?!
ねぇなってるー??!(笑)
企画中!
「過去と現在と未来を語って元気になっちゃう会!」
お楽しみに~( ≧∀≦)ノ
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