セミナー講師ガマちゃん(高瀬真理子)の役立ち・考え方・音楽・法律・身近なグルメを発信ブログ

個人事業主・経営者・管理職にコンサル、セミナーしてます。小さなビジネスの法律系。社労士。1969年生まれ。東京都在住。夫婦2人とリクガメ1匹暮らし。プロテスタントのクリスチャン。教会でピアノとギター弾いてます。お問い合わせはフェイスブック「高瀬 真理子」またはmariko@gamachan.com までお願いします。

かさこ塾とは「行く」ものであり「入る」ものではないだろう? そこはかとなく感じ続けてきた違和感の正体とは?


私は時々、かさこ塾の記事を書く。
おもに、懇親会やイベントや、塾長であるかさこ氏のことだ。

念のため書いておくと。
かさこ塾というのは、私が2015年6月に行った、ブログ塾だ。
全部で4回の講義があって、その講義を受けると「かさこ塾生」と呼ばれるようになる。

ちなみに、全4回の内容をぎゅっとまとめた「2時間ブログ術講義」というものがあるが、それに行っても「かさこ塾生」ではない(はず)


で。
私は、かさこ塾関係を書くときや言うときに、必ず「行った」という表現を使う。
かさこ塾に「入った」と書いたことや言ったことはないと思う。

そう。
私にとって、かさこ塾とは「行った」ものであり「入った」ものではない。
違いがわかるかな?

現実に、「4回の講義に行った」という事実のみをもって、かさこ塾生になるのだ。
だから、「入った」じゃなくて「行った」だと思っている。

「入った」というのは、「コミュニティに入る」
こんなときにふさわしい。

そうなんだよ。
私はもうずっと、この「コミュニティ」という単語にも違和感がある。

かさこ塾に限らず、なんだかよくわからない。


いちおう言っておくと。
私にとってかさこ塾は、とても大きな存在だ。
でなければ、こんなに何個も記事は書かないだろう。

かさこ塾に行かなかった自分は考えられない。
行ったことで知り合えた人、起きた出来事、思い出など、全部全部とても大切だ。


もう配布を終了してしまったけれど、セルフマガジン(自分紹介冊子)の別冊として「かさこ塾特集」を作ったこともある。

その中で私は、かさこ塾の定義として『生涯にわたって何らかの形で関わりを持つ人、持てる人にめぐりあいやすい「存在」』と書いた。

この先も続いていくのだろうな、と感じられる友人たちもできた。
かさこ塾に行かなかったら、出会わなかっただろう。


さて。
最近、かさこ塾のフェイスブックグループページで、「ふぁ!?」と思う投稿を見た。
全公開の文章ではないので、引用はできない。

私は、とても驚いた。
時間をおいて読み返したりしたけれど、やっぱり、驚いている。

ことばにするなら「認識の違いが、あまりに違いすぎる…」だ。

投稿者の認識と、私の認識と、ではない。
投稿者が発信を向けた対象の認識と、私の認識、だ。

たぶんね。
発信を向けられた人たちは、かさこ塾に「行った」ではなく「入った」と思っている。

私がもうずっと、そこはかとなく感じ続けてきた違和感。
ああこういうことか、と思ったんだよね。


かさこ氏が時々発信している、「(何かあったとき、災害時などの)全国のつながり」(←言葉は正確じゃないかもだけど)
これは、本当に、そうだ。

私も、かさこ塾に行き、さらにネットとリアル両方で動いたからこそ、全国に友人や知り合いができた。


ただ、ね。
私は、1対1で会いたい人が、もっと、ほしい。

何人かで会うのも、もちろん楽しい。
でも、1対1って特別だ。

1対1でぜひ会いたいと、互いに思える人。
それが、私が強く求めるものだ。

かさこ塾に行ったおかげで、そういう人たちもできた。
ただ。
「かさこ塾のグループページを抜けた人」=つまり、かさこ塾を離れた人のほうが、私にとってそういう存在であることのほうが、実は多いのだ。

(かさこ塾を、「入る」じゃなく「行く」ものだという私の解釈だと、「抜ける」も「離れる」もないんだけど)


私は、1対1でぜひ会いたいと思う人が、ほしい。出会いたい。

そういう人にもっともっと出会うためにも、これからも、ネットでもリアルでも動きたい。

そういう人に私という人物を知ってもらうために、この文章をどうしても書きたくなったのかもしれないな。