「祈ったけど、願った通りにはならなかった」をそのまま受け入れる心に、簡単にはへこたれない希望とちからを感じる。

 

前記事に、こう書きました。

(ここから)

「祈ったら、願い通りになりました。神は『祈りを聞いてくださった!』」

という話より、

「祈ったけど、願った通りにはならなかった」の話のほうに、むしろ慰めと平安をいただくのです。

(ここまで)

https://blog.gamachan.com/entry/2022/03/24/133853

 

「祈ったら、願い通りになりました。神は『祈りを聞いてくださった!』」

 

願い通りになるとは、どういう状態だろう?

祈りが聞かれるとは、どういう状態だろう?

 

神様があの人のことを、私の願ったように変えてくれたってこと?

神様がこの状況を、私の願ったように変えてくれたってこと?

 

もし、あの人が、私の願ったように変わらなかったら?

もし、状況が、私の願ったように変わらなかったら?

 

そういうことだって多いですね。

ではそれが、「神は聞いてくださらなかった」になるのだろうか。

「祈ったら聞かれる(はず)」に、かえって失望を深めることもあるのではないだろうか。

 

私はやっぱり、

「祈ったけど、願った通りにはならなかった」

をそのまま受け入れる心に、簡単にはへこたれない希望とちからを感じますね。

それでも神を見上げて進むし、進んでいけるってことだから。

 

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