世界でも日本でも起き続ける大変なことについて、私が触れない理由とは?

 

世界でも日本でも起き続けるいろんな大変なことについて。

発信する時に、私は(基本的には)触れません。

その理由を書いてみますね。

 

数行下から始まります。

現実の事件に触れているので、読みたくない方が引き返せるように。

ここ半年~1年ほど、電車での事件が相次ぎました。

目立つ事件は東京が多く、私も使う路線だったり駅だったりしました。

 

怖くなりました。

電車に乗る時に、今まで以上に緊張するようになりました。

(今は元通りです。適度な緊張感は、いつももっています)

 

情報も、必要な情報を得たらそれ以上は見ないことにしました。

ツイッターの話題のニュースとか、危険です。

見なきゃよかった、な動画が拡散したりしますからね。

 

そんなある日、流れてきた知らない人(フォローしてなくても流れてくる)のツイートが、こんな内容でした。

「電車の事件が起きた路線に乗った、怖かった、無事に行ってこれてよかった」

 

見た瞬間、ずーーーんと暗い気持ちになりました。

当時の心境をそのまま書けば

「なんでわざわざ書く!せっかく忘れてたのに、また思い出しちゃったじゃないか!」

ですかね。

 

書いた人は、全然悪くないんです。

怖かった気持ち、ほっとした気持ちを書いただけ。

「私も同じ!」と共感したり、慰められた人もいたのではないかな。

 

でも私は見たくなかったんです。

思い出すのも嫌だった。

 

その時、気づいたのです。

私、自覚している以上に、情報に敏感なんじゃないかしら、と。

 

今まで、自分のことをそのように思ったことはなかったのですが、思い返してみるといろいろ思い当たることありました。

 

敏感、っていうのかな、何ていうのかな。

全部に対してそうなんじゃなくて。

 

「私にとっては、とても敏感になってしまう情報」が、「その時には」存在している。

それにタイミングよく(悪く?)触れてしまうと、メンタルにくるのかな、と。

 

電車の事件に限らず、世界や日本で起きるいろんな事件も、話題にしていろいろ喋るのは苦手でした。

 

必要な情報は得たい、

人の冷静な考察も知りたい、

自分なりの考察を得たい、

あとは話題にせず、ひっそりとしていたい。

 

フィクションなら、ホラーや悲惨なことなども映画や文学で知ったり楽しんだりするし、実話でも古い時代の話をドキドキと読んだりします。

積極的に。

 

そう、「自分は安全な場所にいて」ならば、そういうものを楽しむ心もあるのです。

 

かと思うと、何でもないような情報が、ずーーーんと重くきたりもする。

 

このへんの感覚は、人それぞれだと思います。

「今の私にはメンタルにきてしまう!」と自分が思ったら、避けていいのです。

避けたほうがいいんです。

 

もちろん、書く人がいてもいいんです。

事実を知らせ、判断材料を提供し、注意を促し、などなどありますよね。

 

人は皆違い、役割も違います。

自分は自分の役割をしっかり果たせばいいのですよ。

 

世界や日本で起き続ける大変なことについて書くのは、今のところ私の役割ではないんだろうな、と判断しています。

 

だから、

1.すっきり笑って前向きに

2.はっきり分かって良い選択

3.しっかり学んで成長する

を話題にし続け、書き続けるつもりです。

 

blog.gamachan.com

 

f:id:takasemariko:20220121234822j:plain

いつもにこにこ。

 

✴️フェイスブック
https://www.facebook.com/profile.php?id=100009953641774
✴️ツイッター
https://twitter.com/BufoTel
✴️特定商取引法に基づく表記。https://gamachan.com/%e7%89%b9%e5%ae%9a%e5%95%86%e5%8f%96%e5%bc%95%e6%b3%95%e3%81%ab%e5%9f%ba%e3%81%a5%e3%81%8f%e8%a1%a8%e8%a8%98/