何もしていない時には、神はお留守になる。
いや、神が留守しているわけではない。
私が「神と共に過ごしたい!」と切実に思い求めていない時は、私が何もしていない時だ。
神のなさることを信じて動けば動くほど、神への渇望を実感する。
神と過ごす時をもちたくなる。
心静めて祈る時が、もっともっと必要になる。
なくてはいられなくなる。
「神よ私を守ってください」と心から叫ぶ時。
それは、神の前に私が動いている時なのだ。
その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。
旧約聖書 詩篇1篇3節
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