伝えたいことを相手に伝える、たったひとつの方法を選ぶなら?

本気でそう思い、語ること。

喋りの巧拙を問わず、
その人が本気でそう思い
心から語るならば、
人に伝わる可能性はぐっと高くなる。

つまり、
本当にそう思っていることでなければ、
どんなに語っても人には伝わらない。


今日、東京都社労士会というところの
研修に行った。
必ず受けなければいけない研修だ。

社労士という職業として
こうしなければならない、
こんなことはしてはいけない、等の
法律に関する研修。

楽しいわけはない。

こんなことしちゃほんとはダメだけど、
こんなことやっちゃったできちゃった、
みたいな話のほうが
おもしろいに決まってるのだ。

研修の内容は、この時間内で
とてもこんな量はムリでしょう、
という量が詰め込まれる。

講師はそれを話さなければならない。
講師にとっては分が悪い。


早口、
たくさんの人のもわもわした空気。

私は途中で少し寝落ちしてしまった。
すみません。

周りでも、耐えきれず
寝落ちしている人が何人もいた。


ただ、その中でも、
講師の言葉で
とても心打たれた部分があった。

自分の体験を、自分の言葉で、
とつとつと語ってくれたのだ。

「自分は、こんな苦情を受けて、
すごく情けなかった。
恥ずかしいと思った」

※講師本人への苦情ではなく、
その人が役割柄受ける
社労士全体に対する苦情。

講師の言葉から、
心が伝わってくる気がした。

その人は、
本気でそう思っているのだろうな、
と思った。

喋りの巧拙ではなく、
その人が本気でそう思っているから
私の心に触れるのだろうな、
と思った。


今日は、私が社労士という資格で
開業したゆえに
規制を受ける法律についての研修だった。

「固い」と表現されることの多い
職業に限らず、
一定の職業についたり開業したり
名乗ったりするときに、
法律により規制を受けることがある。

それが時代に追いついていなかったり、
保護の対象に偏りがあるなぁと
正直思うこともある。

しかし、法律には必ず、
「こういうことを実現したい」
という目的がある。

その目的がある以上、
やっちゃいけないことは
やっちゃいけないし、
守る必要があることは
守る必要がある、という
最低ラインがある。

それは、
何かを思って熱心であるとか、
とにかく相手 (や自分) の思いや利益を
実現したい、そうすればよい、
とかとは別の話だ。
(これはこれで大事だけど)

…と思うからこそ、私は
現時点の法律を
なるべく分かりやすく記事にして
伝えようとしているのだろう。


しかし、たぶん、もっと、
本気で何かを思うことが
必要なのかもしれない。

何か、さらに、実現したい価値。

それを言葉に
さらに乗せることができたときに、

もっと私の語る記事は
(たとえ面白くはない法律の話題でも)
力をもって
人に届くのかも知れないな、と思った。


ま、今後も続くぜ? 法律記事。
お付き合いください、がま!

 Σ(・∀・)☆