子どもがいるから子どもの話をするのではない。「子どもの話をしたいから」「子どもの話をすることにしたから」子どもの話をするのである。

 
 
私には、思い込みができつつあったのかもしれない。
 
「自分に子どもがいる女性って(つまり母親)子どもの話をしたいんだ」という思い込み。
 
 
実際に、私のまわりの子どもがいる女性たちは、子どもの話を出すことが多い印象だし事実だと思う。
 
自分の子どもの場合もある、
よその子どもの場合もある。
親戚、近所、同級生、誰でも対象になる。
 
子どもの年齢は問わない、
小さくても、それなりの年齢でも。
 
 
そういう現象に触れるうちに、私の頭の中にはいつの間にか「子どもがいる女性って、子どもの話をしたいんだ 」という思い込みができつつあった。
 
 
 
しかし、先日。
ツイッターで、ある投稿が目に留まった。
投稿主は、私の知らない人。
 
この通りの言葉ではないけれど、こんな内容だ。
 
「美容院で、子どもがいるって言うと、子どもの話題含め生活じみた話ばかりされてしまう。
 
だから、初めての美容院に行った時に、自分を『彼氏ができたばかりの独身』という設定にしてみた。
 
そうしたら、話が華やかになって、気持ちもすごい上がった、楽しかった」
 
 
私は、衝撃を受けた。
 
そういうことなのか!!!
 
 
子どもがいるから、子どもの話をするのではない。
 
子どもがいて「子どもの話をしたいから」「子どもの話をすることにしたから」子どもの話をするのだ!
 
 
 
 
考えてみれば、当たり前だ。
美容院に限らない。
 
自分で自由に話題を選べる状況で子どもの話を選ぶのは、子どもがいるから、という理由だけではない。
 
その時に「子どもの話をしたいから」「子どもの話をすることにしたから」なのだ。
 
 
 
 
その後、検索をかけてみた。
「子どもの話ばかり 〇〇〇」
 
〇〇〇は、否定的な言葉だ。
そうしたら、まぁ、出てくるわ出てくるわ、驚いた。
 
 
その中で、特に私の目を引く話があった。
こんな内容だ。
 
「自分には子どもがいるけれど、子どもの話をしたいとは思わない。
ママ友とも、他の話がしたい。
 
みんなの趣味の話とかも聞いてみたくてママ友の集まりに行ったけど、いつも必ず子どもの話題になってそればかりだった。
がっかりしちゃって、そういう人とは付き合いがなくなった。
 
友人や知人とは、別の話がしたい。
そうできる人とは付き合いが続いていて楽しい」
 
 
わーーーーそうなのかーーそういうこともあるんだな~~・・・
 
 
 
どうでしょう。
子どもを例に書いたけど、他にもあるのではないだろうか。
この人は〇〇だから、〇〇だろう、という思い込み。
 
そうではない。
〇〇だから、〇〇 なのではない。
 
「〇〇をしたいから」または「〇〇をすることにしたから」 または「〇〇の自分でいることにしたから」〇〇なのである。
 
〇〇に、いろんな言葉を入れてみてほしい。
 
「私の思うこのことは、思い込みではないだろうか、偏見ではないだろうか」
と、振り返る姿勢をもっていきたい。
人間理解も深まっていくのではないだろうか。
 
 
 
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