「私が痛みを覚えることのないようにしてください」この祈りのありがたさを思う。

 

「私が痛みを覚えることのないようにしてください」

聖書に、ある人がこのように祈る箇所があります。

 

私は、この祈りがとても好き。

いつも支えられてきました。

 

この祈りは、いくつかの内容で成り立っています。

前半は、生きる世界の幸いと拡大を祈り(この通りの言葉ではないですが)

後半は、痛みから遠ざけられますように、と祈ります。

 

前半も好きですが、

後半あってこその前半だな、とも感じます。

 

痛みを知らずに生きることができたら、それはきっと幸せなことですね。

そのはずですよね。

 

だけどもし、痛みを知らなかったら?

人は、それがとても幸せなことである、という自覚を持てるのだろうか。

私は、持てないと思います。

知らないことについての自覚は持てないんじゃないかな。

 

そう、痛みを知っているから、「痛みがない状態のありがたさ」もわかるのです。

「痛みがないようにしてください」と祈ることができるありがたさも、わかるのです。

 

知らなければ、そのことはわからない。

知らなければ、ありがたさもわからない。

 

知ることは、生きる世界を広げる第一歩。

「知る自由」があることのすばらしさ。

 

(…であると同時に、人には「知らないでいる自由」もある、というところにも、自由のすばらしさを感じますよ)

 

今朝は、朝の時間の中で、この思いが湧いてきました。

「私が痛みを覚えることのないようにしてください。

シンプルな願い、祈りを、ありがとう」

 

今日の1日もありがとうという気持ちです。

よい1日になりますね。

 

これをお読みくださったあなたも。

あなたにとって、よい1日でありますように。

 

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