前記事で書いたように、「SNS 疲れ」などで検索すると、たくさんの記事が出てくる。
フェイスブック疲れの理由として、「リア充投稿を見るのに疲れる」は、だいたいどの記事にも書かれているようだ。
だけど、ちょっと待ってほしい。
そもそも、フェイスブックとは、リア充を投稿するところだ。
「◯◯しました!」「◯◯食べました!」「◯◯さんと会いました!」「家族は今、こんなです!」「こんな写真撮りました!」「写真撮ってもらいました!」「うちのペットはこんなです!」「◯◯思いつきました!」「◯◯始めます!」「◯◯売ってます!」「◯◯って知ってますか?」
…どれも、多少なりともリア充入ってるじゃないの。
「◯◯で悩んでます」「体調悪い」だとしても、悩んでいるとか体調悪いとかの事実を、少なくともフェイスブックには出すことができる、出す場所がある、というリア充を含んでいる。
フェイスブックにリア充を投稿せずに、いったい何を投稿するのだろう。
そう考えると、フェイスブック疲れの理由を「他人のリア充投稿に求める」のは、ちょっと違う気がするというか、根本的な解決にはならない気がする。
他人や、他人の投稿に、自分を預けてしまっている。
私は、フェイスブック疲れとは、「情報の過剰摂取」だと思う。
「量」が多すぎるのだ。
リア充投稿を見るから疲れるというより、受けとる量が多すぎるから、疲れるのだ。
たとえば、こう仮定しよう。
今の私の「情報受けとり可能量」が30、Aさんのリア充投稿の情報量が10とする。
私は、Aさんの投稿を見ても、疲れない。
まだ20の余力があるからだ。
あと20、受け入れられる。
超えると、疲れてくる。
「情報受けとり可能量」は、一定ではない。
同じ人でも、元気いっぱいの時には増えるし、不調な時には減る。
気持ちのおおらかさがなくなっていれば、ゼロもあり得る。
「情報受けとり可能量」が激減している時などは、ほんとちょっとフェイスブックを見るだけで、疲れる。
スマホを閉じて、さっさと寝たほうがいい。
私のこの考え方のいいところは、他人や、他人の投稿に依存しないところだ。
他人がどんな投稿をしていようとも、関係ないのだ。
私が、私の現在の「情報受けとり可能量」を判断する。
それを超えないよう、受けとり量=見る量を調整する。
よくある方法として、見る時間を決めるという方法もいいと思うけれど、「情報受けとり可能量」が激減している時には、たった5分でも疲れてしまうだろう。
逆に、「情報受けとり可能量」がすごく増えている時ならば、2時間3時間見ていたって疲れないかもしれない。
最初から時間というよりも、「量」で判断して、それから適正な時間を割り出すと、疲れにくくなるのではないか。
というわけで、フェイスブックを見る時は、今現在の自分の気力、体調、心のおおらかさなどをよく見て、「情報受けとり可能量」を判断し、それを超えないように人の投稿を見てほしい。
なお、私は、フェイスブック疲れは、見ることによる疲れと考えている。
私がそうだからだ。
それで、こういう記事になった。
「SNS 疲れ」で検索すると、「コメント返しに疲れる」「コメント返ししなきゃと思って疲れる」なども出てくるんだけど、私はそこにはあまりストレスを感じない。
なので、コメント関連でお疲れの方いらしたら、すみませんが各自で考えてください。笑
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