「神を信じ(てクリスチャンになっ)たのに、どうしてこんなつらいことが起きるのか」という問いについて。


「神を信じ(てクリスチャンになっ)たのに、どうしてこんなつらいことが起きるのか」

という問いが、あるらしい。

「らしい」というのは、私自身はこのように思ったことがないからだ。
でも、話には聞く。


私がこのように思ったことがないのは、つらいことがないからでも、悩むことがないからでもない。

この問いが浮かぶかどうかは、その人それぞれ、人によるんだろうなぁ…としか、いいようがない。


神を信じることと、つらいことが「起きるかどうか」は、別の問題だ。

起きた問題に対して、どのように向き合うか、どのように受け止めると自分自身が決意するか、

背負わなければならなくなったときにはどのように背負うのか、

ひとりぼっちで戦っていると思うか、神が共にいてくださると思うか、

なのだと思う。

もし、神を信じていれば何もつらいことが起きないよ、ってことなら、究極的には「人は死なない」になってしまうだろう。



昨年、心に迫るように、「なぜ…?」と思ったことがあった。

「神を信じているのになぜこんなこと」というより、本当に、わからなかった。

ずっと抱えてきたことがあって、うまく対処しているつもりだった。

でも、私のこの心の状態はまずい、やばい、と、「なぜ…?」によって気がつくことができた。

それ以後、ひとりで負いきれない荷物は、他の人にも少しずつわけて、もってもらうことにした。

ずいぶん楽になった。


「こんなことが」は、起きる。

「こんなこと」が起きたとき、「こんなこと」それ自体も大変だったり悩みの種だったりするけれど、それ以上に、「こんなこと」の裏側に隠された問題、隠してきた本当の問題が明らかになったりもする。

それを自覚してしまうことのほうが、悲しい。

それこそが、悲しい。

…ということも、ある。


どこを見て、どこに向かって進もうとするのか、だと思う。

神や何かや人のせいにするのは、たぶん簡単だろう。

簡単だけど、かえって悲しいんじゃないかな。

もっとつらさは増すのではないだろうか。


神は人に自由な意思、意志を与えた。

「こんなこと」をどのように受け止めるか。共存するか。

決めて、進むのは、いつだって自分自身だ。

そして、最善を尽くしながら。

最善を尽くした後は、神に委ねる、なのだ。


神よ。
私はあなたを呼び求めました。
あなたは私に答えてくださるからです。
私に耳を傾けて、私のことばを聞いてください。

(旧約聖書 詩篇17篇6節)



「チョコやチョコケーキを食べ比べちゃうがまの会」
日程決まりました!
2019/4/25(木)14時~

下記リンクは日程決定前の記事です。
ブログ、イベントページつくりますね、お楽しみに~!
blog.gamachan.com

 
先日「魅力発見ワーク」に参加された矢島真沙子さんが、記事にしてくれました!

(ここから記事引用)

でも実は【それ】がワタシの魅力、
なんですと。

なんのこっちゃと思うかもしれません。
でも目からウロコ。

解説してもらい、確かに納得。
腑におちる結果でした。

発見したワタシの魅力

えっと、3つ目は異論あると思うけど
ご容赦ください。(笑)

いつまでも歳をとらない 

思い立ったら即行動

スタイルが良い
(↑笑い声聞こえたけど気にしない!)

なりたい自分に近づく魅力発見ワーク。
まわりも自分も好きになること間違い無し。

気になる方にワークとしてシェアします。

(ここまで記事引用)

ゆるベジインストラクター矢島真沙子さんのブログ ↓ameblo.jp


「なりたい自分に近づく」魅力発見ワーク
受けてみたい方は、フェイスブックメッセンジャーまたはメールでご連絡くださいね。
mariko@gamachan.com
blog.gamachan.com