いつ頃からか、何かを「出す」と、
自分の予想を超えて喜ばれることが
増えてきた。
「出す」とは、
発信もそうだし、
サービスもそうだ。
私にしてみると
「なぜ自分はそれをやるのか」
うまく説明できないことも含む。
喜んでくれる人が増えるのは、
うれしい。
と同時に、私は常に、
自分の心の納得感に
照らし合わせる必要性を
感じている。
私にとって
自分の心の納得感とは、
神のみこころにかなう道か、
ということだ。
この感覚は、おそらく
神を信じない人には
なかなか分かり得ないものだろう。
また、「神」とひとことで言っても、
私の想定する神と
他の人の想定する神とでは
違っていたりする。
そうすると、
「あ~わかるー」と言われても、
「いや、たぶん違うよね…」
と、言わざるを得ない。
そこはもう、仕方ない。
そして、私は、
神が私をこの地上の命として
作ってくださった、
その使命を果たせているだろうか、
神から受けとるばかりではないだろうか、
私は捧げることができているだろうか、
という思いと共に、
心の納得感が生まれてくるのだ。
神から受けとるのも捧げるのも、
強制的な何かでもなければ
きまりごとでもない。
自発的な、自由な喜びに満ちたものだ。
私は今そうやって
いろんなことを「出して」いるから、
周りの人が喜んでくれるのも
とてもうれしく受け取り、
また新たにどんどん出そうと
試みるのではないだろうか。