いい加減でテキトーで曖昧で宙ぶらりんでいたい。これはむしろ困難な道。

その人は、
「自分は常に真ん中でいたい」
と言いました。

組織とかの人の集まりがあったら、
いろんな考え方、思想があるでしょ。
その真ん中でいたい、て。

じゃあ、例えば、
右に偏る組織だったら、
自然と真ん中も右気味になるけど?

左に偏る組織だったら、
自然と真ん中も左気味になるけど?

それでも真ん中がいい、
真ん中でいるようにする、て言うわけ。

私はそれを聞いて、

なんていい加減でテキトーで曖昧で
宙ぶらりんな男!

とまでは思わなかったけど(笑)
当時は好きだったから。

ただ、かなりがっかりしたのを覚えてる。

私自身が、今よりももっと
はっきりしていた。
相手にもそれを求め…だったと思う。

その人にしてみれば、
そういう「はっきりした私」が、
特に信仰の部分が受け入れがたかった、
てのはあったと思う。

信仰ってのは、ある面においては
妥協がないからね。

神を信じるのか信じないのか。

イエスキリストが自分の罪のために
十字架にかかったと
信じるのか信じないのか。


まぁ、ともかくその人と私は
それほど長く付き合うことなく
別れたんだけど、

後日、ある女性に
「真ん中でいたいエピソード」を
話したんですよ。

なんですかねこのテキトーさ!?
てな感じで。

そしたら、その女性が、
こう言ったんです。

うん、それもそうだけど、
別の角度から見ると、その人すごいね。

だって、
いろんな移り変わる中で
「真ん中でいる」て決めて、
そうしてるんでしょ。

そのほうがむしろ大変じゃないの?

…!

そうだ。

周りの環境で左右されながら
その都度動く、その都度決める、
を絶え間なく繰り返すの、
大変よね!?

それよりずっと、周りに関係なく
こう、て決めちゃったほうが
むしろラクよね!?


いい加減でいたい、
テキトーでいたい、
曖昧でいたい、
宙ぶらりんでいたい、

これはむしろ困難な道。

こうである、
こうでいる、ことを決めて、
こうしてる。

ガマばれ!!


ガマ@東海道山陽新幹線
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