障害年金の申請を決心する心と助けを求められない男性。上っ面のプライドじゃなく本物のプライド、それが、守りたい何かを守る、ってこと。


昨日、社労士系の研修に行った。
講師の人 (社労士) の話が
すごく心に残った。

夫婦で障害年金の相談にやってきて、
片方は障害年金を申請したいと
思っているけど、
もう片方は「障害年金なんてイヤ」と
思っている場合があるそうだ。

(注) 障害年金とは (ガマ訳)
病気やけがで日常生活が
いろいろできなくなった時に、
国がくれるお金。
2か月に1回振り込まれる。


例えば。
夫が、うつ病になった。
会社も辞めた。家にいる。通院する。
しばらくこの状態が続きそう。

夫は「障害年金を申請したい」と言い、
妻は「イヤ」と言っている。


こんな場合の、妻の心。

私も働いてるんだし、まだ大丈夫。
それにもし
あの人(夫)が障害年金をもらったら、
障害者、っていう枠組みに
入ってしまって…
それにはちょっと抵抗が…


夫の心。

オレが家庭を守らなきゃいけなかったのに。

それなのに病気になってしまって、
情けない、不甲斐ない。

障害年金…
本当は抵抗ある。

だけど、受け取る選択をしなかったら、
金銭的な負担が全部〇〇(妻)のところにいく。
オレの治療費、通院費、、、、

それだったら、定期的な収入源を得て、
少しでも〇〇(妻)の負担を軽くしたい。

それが、病気になってしまった
今のオレができる最善のこと。


では、そんな時、
講師の人がどうするかというと。

妻に「夫の心」と共に、こう伝えるそうだ。

定期的な収入というのは、
たとえ少額でも存在が大きいです。

もし、10000円が口座に振り込まれたら、
ご主人(夫)は肩身の狭い思いをして
あなた(妻)から
お金をもらう必要がなくなるでしょう。

10000円のうち、3000円が残ったとして。
それがあなた(妻)からもらったお金だったら、
そうそう使えないですよね。

でも、自分用に振り込まれたお金なら、
通院の帰り道に
「今日は気分がいいから
何か食べて帰ろうかな」とか
「ちょっと買い物していこうかな」
って思った時に、
ご主人は気兼ねなく実行できるでしょう。

そんな小さな幸せの積み重ねが、
大切なんじゃないでしょうか。
病気の回復を早めたりも
するんじゃないでしょうか。

障害年金の申請をするかどうかは
もう一度話し合って
納得いくように決めればいいと思います。

でも、
受け取る、っていう選択には、
収入の安定と共に
それがもたらすいろんな可能性もあるんだ、
ってことを知ってほしいです。



この話とは逆に、
何かの「プライドみたいなもの」に縛られて
「助けを求められない男性」も
多いのではないかと、私は思う。

「〇〇を守るのはオレ」
「助けはいらない」
「情けは受けない」
「恥ずかしい」
「〇〇とは言われたくない」


しかし、
人生で何か問題が起きてしまうこと、
意図せず、問題が降りかかってくることは
時に避けられないだろう。

努力ではどうにもならず、
最善を尽くしてもどうにもならなかった、
ってことだってあるだろう。

病気になることだってあるだろう。
まさか自分が…まさかこんな病気に…
弱い人間がなるもんだと思ってた…
ってことだってあるだろう。

どうしようもない。
どうにもならない。

で、その、
どうしようもないときに、
どうするのか?

それこそが、問われるんじゃないのか?

そういう中でも最善を選択し、行動する。

すぐには思うようにいかなくても、
なんとか実行しようとする。

その姿勢こそが、
道なき道から道を作り出し、
あぁ苦しかったけど
いつの間にかちゃんと抜け出してたね、
ってことになるんじゃないのか?

自己憐憫とか恨みつらみとか
「あの時ああすれば
どうだったああだったこうだった」とか、
そんなんはもういいんだよ。

なっちゃってる事態は
もうなっちゃってるんだから、
じゃあそっからどうするのか。
その時思う最善をまた実行する。
その繰り返し。

必要なら、助けを呼べばいい。
情けを受ければいい。
カッコ悪くなんかない。

病気なら、治療すればいい。
当たり前のこと。

〇〇と呼ばれるぅ?
バカにされるぅ?
理解されないぃ?
それがなんだっての。

そんなんは振り切って、
決断できること。
実行できること。
継続できること。

それが、守りたい何かを守る、ってこと。

上っ面のプライド、じゃなくて、
本物のプライド、なんじゃないですかね?



なんてことを、研修の後思ったよ。