ブログをなぜ書くのか。私は書きたいから書いている。そう、ただそれだけなのだ。


昨年6月に行ったかさこ塾では
「余命1年だったらどうしますか?」
という質問をされた。

余命1年じゃなくて
2年だったかもしれない。
3か月だったかもしれない。

思い出すたびに変わるのだが、
そこはあまり重要ではないと思っている。

重要なのは、
人はいつか必ず死ぬ存在、
それをふまえたあなたは
今、何をするの?
ってことだろう。

自分に問うたびに、
私の答えは違ってきている。
特にこの半年は、大きく変化した。
半年の間に出てきた答えがあるのなら、
それをやればよろしい。

だが私はやっていない。
一番大きな答えは、大きすぎて、
やれていない。

どうしよう、そうなりたい、そうしたい、
でも…できない、
と思っていたのだが、
最近気づいたことがある。

答えの中には
AとBの2種類が含まれていて、
区別できていなかったのだ。
頭の中で混然一体となっていた。

しかし、AとBは分離できる
ということに気づいた。

確かに、BであるにはAでなければならない
という関係だ。
しかし、Aは単独で存在できる。

Aが成り立ったら、
その後、Bに着手したってよい。
その時には、
Bは消滅しているのかもしれないが、
それはその時だ。

気づいてみれば、シンプルだった。
もっとも、
AとBが混然一体となっていようが
分離していようが、
大きな行動であるという現実は
変わらないのだけど。

だけど、気づいただけすごい。
気づいた分だけ、前に進めた。

これに気づいたのは、
先々週の九州旅
(大分中津かさこ塾フェスタ) の時だ。

旅の行く先々でブログを書きながら、
何かが私を変えていくのを
感じていた。

帰ってきてから気づいたのだが、
この旅は「再確認の旅」だった。

再確認の中で、
AとBの関係性に気づいた。

かさこ塾フェスタやオフ会と
組み合わせて旅するごとに、
何らかの意味が後から私に降りてくる。
必ず「後から」だ。

行く前は、
なぜ自分が行くのか
意味はわからなかったりする。

ただ行きたいから行く、それだけ。


ブログだってそうだ。

私は、書きたいから書いている。
そう、ただそれだけなのだ。


9月12日(月) 深夜