ともかくどんな時でもブログを書く。
これは私にとってものすごく大切で、
なぜなんだろう、と考えてみたら、
その時その時に
私はそこにいたよ、って
生きていた証を刻んでいる行為なのかな、
なんて思った。
もう少し踏み込んで言えば、
毎日書き綴る「遺書」だ。
遺書、なんて表現は、たぶん初めてだ。
でも、そう言えるんじゃないか?
例えば私が今日いなくなっても、
今ここに刻んだこれは、残る。
(はてなブログが消滅した場合とか
その他いろいろを除く)
またこんなこと言うと
縁起がどうこうとか、
そんなこと言うのはどうこうとか、
言われちゃうかもなんだけど、
でもそうでしょう?
人は、いつか死ぬ。
人は生まれた瞬間から、
確実に、死に向かって歩いている。
その時がいつ来るかを知らないだけ。
(自分で選んじゃう人を除く)
そう思うとね、
あまりに死をタブー視するのも
どうかと思ってるんですよ。
少し前にね、
私のある記事に、賛否両論というか、
「すっごくいい!」
「インスピレーションきた!」的な反応と
「これはどうなの…」
「評判的に、いいのこれで…」的な反応と
両方をいただいたことがありました。
「否」の方の思い、主張も、十分にわかった。
だからなお、
私なりに思うことが
より明確になったというか、
こういう部分があってこその私なのだ
と思ったというか、
むしろ後述の点からしたら
大事なことじゃね?
と気づいたというか。
でね。
その出来事だけじゃなく
他のいろんなことからも、
私は改めて思ったんですよね。
多くの人は、タブー視し過ぎ。
死のことを。
でしょ?
では、
私は怖くないのか、と問われれば、怖いよ。
未知のことだから。
私は神を信じるクリスチャンなので
死んだら天国に行けると信じてるけど、
でもまだ行ったことないし。
だから怖い。
いやぁ、時々いるんですよ、
つーか、けっこう多いのかな。
わからないけど。
天国早く行きたい、とか
死ぬのが怖くない、とか言う
クリスチャンの人達。
いやいやいやいや
私、ウン十年神様信じてますけど
ずっと相変わらず死ぬのは怖いビビりです。
ちなみに、以前
死にかけたことあるけど (比喩ではない)
そういう体験あったって
相変わらず怖いよ。
それから、まだまだ天国に行きたくない。
つーか、まだ行かなくていい。
現世界でやりたいことあるし、
未練たっぷりです。
だから真顔で上記みたいなこと言われると、
反応に困る。
そう。
私は、私も、死ぬのは怖い。
でも、死をタブー視はしていないし、
タブー視しちゃいけないと思ってる。
だって、
今日か明日か明後日か
何年後か何十年後か知らないけど
ともかく確実にやってくることを
いつまでもタブー視してたら、
それは「今」をちゃんと生きていけない、
ってことにつながるんじゃないのか?
そんなのはイヤだ。
毎日遺書…じゃなかったブログを書いて
いのちを積み上げてく。
満足した、楽しい人生だったよ、
ありがとね、てことを表現するために、
最期は自分の意思で
(程度を考えつつ)
ちょっと可愛いポップな遺影を使ってみる。
そんなんだって
アリアリなんじゃぁないのかな?
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