詩篇37篇3~6節 自分の行く道は?

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   ~ガマちゃんも読んでる聖書~

 

主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。


主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。


あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。


主は、あなたの義を光のように、
あなたのさばきを真昼のように輝かされる。


   旧約聖書 詩篇37篇3~6節 
    (主 しゅ =神)

 


私は、「自分」を問われれば問われるほど、分からなくなる。
自分を知る? 自己分析? 何をするの? 何がしたいの? 何ができるの?


論理的に、誰にでも分かるように説明しよう。
そうしようとすればするほど、できなくなる。


いや、できないことはないのだ。
現に、聞かれれば、答えてる。
時には、自分から、語ってる。


ただ、言葉が、「自分」の表面を滑り落ちているような気がしてしまうのだ。
見せるためだけに、取り繕っているだけ、のような気がしてしまうのだ。


なぜ、この道を歩んできたのか。
私の、そのままの答えは、「主にゆだねて歩んできたら、こうなった」だ。


なぜ、これからは、これを目指そうとしているのか。
私の、そのままの答えは、「主のみこころだと思うから」だ。


これでは、クリスチャンではない多くの人々に通じないと思った。
多くの人々にも分かりやすい答えを用意しておこうと思った。


たぶん、それなりに用意もできて、それなりに答えているんだろう。


でもね、と思う。
やっぱり、「自分」についての私の答えは。


今日紹介している聖書のことばなんだ。


私が、何かを、成し遂げるのではない。


私は、主に信頼して、進んでいく。


そうすれば、主が、成し遂げてくださる。

 


念のため


信仰は、「個人の」自由な意思によるものです。
私自身は、プロテスタントのキリスト教信仰のもとに生きていますが、知り合った方に強制する、聞く気がないのに話をする、等はありませんし、その方の信仰等、尊重しています。