感動仕立てのプロフィールじゃなくても、いいでしょ?

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       ~ボクはキラキラに~

 

ガマちゃんです。こんにちはー。
大急ぎで、ブログタイトル変えてる人がいましたよ。

 

まずいじゃん、これ。
秋って、もう暦じゃ秋じゃんよ、店に行ったら秋物並んでるじゃんよ、秋はやめなきゃまずいじゃんよ。

 

なにやらブツブツ言ってた結果、こうなりました。
変更前「この秋、開業予定」
変更後「これから開業」

 

プロフィールも変えてたから、思ったんですよね。
カウンセラーをやるんだったら、「自分はこんな経験があった。しかしこうやって克服した。今はほら、キラキラなワタシ!」みたいな感動ストーリー、ていうんですか。
そういうの載せればいいんじゃないのかな、て。

 

「あぁ、あの人にもそんな経験があるんだー」
「だったら私も大丈夫。きっと克服できる」

 

みたいな「共感」を呼ぶんでしょ? そういうのって。

 

そしたらまりこさん、自分の「ストーリー」を、自分で感動仕立てにするのは、なんかムズムズするって。
猛烈に、自分にツッコミ入れたくなるだろうって。

 

まりこさん、他の人の感動ストーリーについては、ツッコミ入れるわけでもなく、イジワル言うわけでもなく、冷静に客観的に読んでる。
「その人はその経験から何を学んで、今の姿になったのか」見極めようとしているのにね。

 

自分で自分、だと、ムズムズするって。

 

いろんな人がいるんだなぁ。
ある人は、誰かの感動ストーリーによって、ガーーッとその誰かに引き寄せられていく。
ある人は、誰かの「今の姿」が知りたい。今が最重要。感動ストーリーは、別になくてもいい。

 

まりこさんって、後者なんですね。
今の姿の魅力をとらえて、この人に会いたい、会うべき、とか決めている。

 

もちろん、その人の後ろ側には、「後に感動ストーリーに変貌する、大変苦しい経験」があったりもするんだけど、たとえそれがなかったとしても、たぶんその人に会いに行っている。

 

直感で、会いたい、と思えばね。

 

自分がそうだから、カウンセラーをやるからといって、必ずしも自分のストーリーを感動仕立てにする必要性を感じないんだろうなぁ。

 

とはいうものの、まりこさんがフツーにプロフィールを書くと、
はい。事実の箇条書き。以上。終わり。
みたいになりますからね。
泣けてきますよ。

 

もう少し性格に、何かの成分を加えたほうがよさそう。
そのほうがもっと、仕事も生活もしやすいよね。

 

まりこさんいわく、
「こんな私でも、なんとか生きていけますよ」
てことを伝えていくんだとか。

 

なるほどー。
ボクは、優しく見守っていくことにしますよ。

 

ガマ 「ねーねー。「自分で」感動仕立てにするのが、ムズムズするんでしょ。だったら「他の人に」感動仕立てにしてもらえば?」

 

まりこ「えーー」