誰と比較する必要があるのか? 不得手な部分がどうしても妨げとなるならば、どうやって妨げではない程度まで引き上げるか考え実行すればよいのである。

私には、尊敬する人が3人いる。
(仕事系に絞る)


それぞれ違う個性をお持ちだが、
3人に共通するのは、
大量の情報を取り入れて処理するのが
とても上手ということだ。


上手、下手、なんて、
それぞれが自分自身を基準に
判断するものだから、
いやそんなことはないと
3人のうち誰かには
言われてしまうかもしれないけど、


少なくとも、私と比較したら、
比較にならないくらい
上手ということだ。



私は、どんなに尊敬する人でも、
盲信はできない。


だけど、いいなと思うやり方は、
できるだけ真似をしたい。


良いやり方の真似をすることは、
その人と同じようになれるための
近道だからだ。



しかし、こと「情報の大量取り入れ」
に関しては、真似ができない。


私は、情報を大量に取り入れすぎると、
すぐに精神の消化不良を起こす。


どのくらいなら
「取り入れすぎ」なのかは
その時の自分の状態や体調によっても
変わってくるけれど、
あ、まずったな…と感じる。


その許容量が、
尊敬する人達より
ずっと少ない気がする。


他の多くの「できる人」と
私が思う人達より少ない気もする。



大事なのは、
その人達より少ないとか
なかなかできないからといって、
投げやりになったり
卑屈にならないことだと思う。



人には、得手不得手がある。


尊敬する人達ができないことを、
私はもしかしたら気づかぬうちに
難なくやっているかもしれない。
(思うのは自由だ)



不得手な部分が
今後進んでいく上でどうしても
妨げとなるならば、
それをどうやって
妨げではない程度まで引き上げるかを考え、
実行すればよいのである。


進み方が遅かったとしても、
誰と比較する必要があるのだろうか?



時に、私にとっては、
何万もの文字情報、他人の情報よりも、
美しく空に広がる花火を見ているこの今、
それが何よりも大事な情報だったりも
するのだ。

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がまや~!(*≧∇≦)ノ