こちらがそう望んだわけでもないのに人間関係が変化してしまうとしたら、時に悲しく残念ではあるけれど、仕方がないことなのだ。

今朝フェイスブックを開けたら
友達の投稿が出てきた。
以前1度会って少し会話した人だ。

投稿を読んで、
半年間くらい疑問に思っていたことが
少しわかったような気がした。

しかし、まだ、わからない。
もともとの「最初に起きた事柄」を、
私は具体的に知らないのだ。

投稿は、その「最初に起きた事柄」を
前提として書かれていた。

さらに、読む人(の多く?)が
「最初に起きた事柄」を知っている
という前提で書かれているのだと思う。


別に、「最初に起きた事柄」を
知っていようが知らなかろうが
どちらでもいいことだ。

ただ、おそらくは
「最初に起きた事柄」の
「次に起きてきた事柄」が、
私の人間関係にも
影響を及ぼしたらしい、

ということに、
私は後になってから気づいている。

ずっと気づかなかった。
何かがおかしい、何かが変わった、と
気づいたのは、
だいぶ後になってからのことだった。

こういったこと自体だって、
本来はどちらでもいいことだ。

こちらがそう望んだわけでもないのに
人間関係が変化してしまうとしたら、
とても(時に悲しく)残念ではある。

残念ではあるけれど、
仕方がないことなのだ。

それまでの関係だったのだろう、としか
言いようがない。


でね。

周りで何が起きようが、
私が気づこうが気づくまいが、
私の人生には直接の関係はなく影響はない。

私がそう決めてそうしている限り、
そうだ。

誰の人生だって、そのはずだ。


しかし。

今、私がこうやって
記事を書き始めたのは、
理由がある。


私は前述の通り、
「最初に起きた事柄」を
具体的に知らない。

「次に起きてきた事柄」も、
だいぶ後になって気づいた。

…のだけれど、

私の周りの
「この事柄を知っている人達」は、
そうは思っていないのではないか、
と思っているのだ。

つまり、
「私も最初から知っている」と
思っているのだと思う。


で。

私は、基本的には、
他の人が私をどう思おうが、
あまり関係がない。

しかし、あまりに「事実」が
食い違っていないか?

周り中が知っている、
私も知っていると思っている、

しかし私は知らない、

というこの事実。


いったいどうすべきか。

…と、ちょっと悩んで…



…いる、て書こうとして
いや別に悩んでもいないし
困ってもいないな。

と、改めて気づいてしまった。

たぶん、このまま放置だ。


ってことで。

ばいばーい。


ガマ 「なんなのよいったい…」

書きたかっただけだ。すまない。