私にとって「救う」とは
「神が人を救う」
こんな時にこそ使う言葉なので
本当は安直に使いたくない。
それでもこの1年半、
できるだけ本音の部分で
ブログに向かい続けて
私の心は救われた、と言える。
もしも私がどこかの組織に
ガッチリと所属していたら、
今のようには
書けなかったのかもしれない。
と思うと、その1点だけをとっても
フリーランスであることに価値がある、
私にとっては。
どこに価値を置くかは
人それぞれなので、
好きなようにやればいい。
社会人になってからずっと、
働く=会社の中で生きる、
だった身からすると、
どこかに所属して生きるほうが
ラクなのかも…
と、今、書きかけたけど、
イヤ違うな、と思った。
最後に所属していた会社でも、
上司がすごく理解のある人で
私と相性も良かった? から、
なんとかもったようなものなのだ(笑)
自由が侵害されたな、と
思うとものすごい圧迫感で、
自由にモノが書けない、と
感じるとものすごいストレスだ。
前記事で
「下書きが溜まっていく」という
記事を出したが、
その後も下書きが1つ増えた。
一番いいのは、
下書きに送るような文を
書かないで済むこと、
下書きを溜めないで済むように
生きること。
下書きのない人生を送りたい。
ガマ 「これも下書き行き・・・?」
さぁどうするか。