人生の決断と責任は自分で引き受けるもんだ、てことも知っている。そんな彼女を応援してくれる人達だって途絶えたりしないだろう。

彼女は今、困っている。
大好きなことがあるのだが、
それについて書く以外に、楽しい記事が
なかなか書けなくなってしまったのだ。

自分の持ち味は、楽しい発信だ、
と、彼女自身は思っている。

どんなことがあっても、
楽しさを作り出す過程で
彼女自身が癒された。

楽しさを喜んでくれる人達の存在が
彼女を力づけた。

地道に彼女なりに動いてきたので、
応援してくれる人達も増えてきていた。

その人達に、
いつも通りの楽しさを届けたい、
と彼女は思っている。

だから、いろんな構想を練る。

あのキャラを使えばなんとかできるかも。
あのキャラで喋ればいけるかも。

しかし、ダメなのだ。
少なくとも、今日は。


何年間も、彼女はほぼひとりで
抱え続けていたことがあった。
彼女にとっては非常な重荷だった。

重荷そのものが重荷、はもちろんだが、
心にしまい込み、何もないような顔をして
笑い続けることが重荷だった。


ここ2.3ヵ月ほど、
彼女は自分に起きるある事態に
あれ…? と思っていた。

友人と会話している時に、
言葉に詰まるのだ。

今までにはなかった。
心、胸に、石が詰まったよう。
言葉が、出てこない。
(病気ではない)

そしてとうとう、
友人の前で涙が流れ出すという、
経験したことのなかった事態に
見舞われていた。

複数回、あった。

あぁ自分はギリギリにきたんだな、
と、直感的に彼女は感じていた。


彼女にとって幸いだったのは、
そんなふうに弱みを見せることのできる、
そしてサラリと受けとめ流してくれる
友人達に恵まれていたことだ。

それも、1人や2人ではない。
何人いることだろう。

古くからの人達もいるし、
ここ1年あまりでぐわっと増えた人達もいる。

多くは、ブログや
その活動を通して知り合った人達だ。
彼女にとって、古くからの友人同様に
とても大切な人達。

そんな人達に、届けたい。

そしてまた、まだ知らぬ、
でもきっと私の記事を
楽しみにしてくれている人達に、
いつも通りの楽しさを届けたい。

そう願うのに。


たぶん、溜め込んでしまった何かは
少しずつ外に出していくことを
必要としているのかもしれない。

彼女は、たいていの場面で
冷静で客観的だ。
…と、自分では思っている。

確かに、自分の置かれた立場を
冷静な視点で見過ぎた。
それを長く続けた結果こうなった、
とも言える。


私がもし彼女を傍から見ていたら、
何と言ってあげるのだろう。

あまりに似すぎていて
かえってよく分からないんだけど、
ただひとつ思うのは、
彼女はそんなに弱くはないんだろう、
てことだ。

あぁもちろん人間は弱い存在だ。

だけど、自分が弱い存在だ、てことを
彼女は知っている。
だからこそ、彼女はそれほど弱くはない。

人生の決断と責任は
自分で引き受けるもんだ、てことも
知っている。

そんな彼女を応援してくれる人達だって
途絶えたりしないだろう。

楽しい発信だって、
そのうち戻ってくることだろう。



旧約聖書 哀歌3章32節

たとい悩みを受けても、
主は、その豊かな恵みによって、
あわれんでくださる。